情と愛着(前編)
だんだん分かる
―子供の頃から家業を継ぐということをなんとなく感じていた。
「将来は指物の仕事をやらなくちゃいけないな」っていうふうな場面がやっぱり小さい頃から日常生活にも出てくる。例えばうちやったら、お得意先とかにお使いに行かされたりもするから。お茶の所作の勉強とかもあるし。周りの人がまた「川本さんのとこの坊ちゃん、家継ぎはるな。お使いなんか来てえらいな。」って言うて。周りが育ててくれるような雰囲気がある。それはまさにその家が続いてきているということ。「あんたとこのおじいちゃんはこんな人やったけど、お父ちゃんこんな人で」っていうのをやっぱり何人かが知ってはる。
けど相手だけがうちのことを知っているわけではなくて、うちも相手のことを知っている。そんな感じで思春期に入って、反抗期はあるんだろうけど、指物の仕事するんじゃないかなっていう感じになってくる。よその仕事をしたとしてもいずれ家に帰るんじゃないかなっていう。
―しかし、道具を研ぐというような基礎の仕事は身についている実感がなかった。
刃物を研ぐことは指物の基本なので、その基本を身につけるのにだいたい5年かかると言われている。最初、仕事が始まった時にはこんなことやってていいのかなって思ってた。基本、基礎って生み出すものがない。そこで1時間やってたら時給1000円くらいあるのか、こんなことしたらこういう形(作品)ができるのか、っていうことじゃない。そしたら、歳もまだ若かったし、こんなことやってていいのかな、って不安になってくる。みんな見てたらパチッとネクタイ締めたりとかして社会人らしい感じで動いてるけど、職人さんの仕事なんていうのは服装とか全然関係ないから。別にネクタイ締めなくても構わないし、極端に言ったら裸足でも構わないし。何をやらされてるかわからないことやってて。だけどやってるうちにだんだんと分かってくる。
五感で感じること
ー指物は木材を素材として制作する。
日本は6割ぐらいが森林って言われてる世界だから木がいっぱいある。だけど木がいっぱいあるから言って、その木をポーンと切ってすぐに指物に使えるかっていったらそうじゃない。材木は十分水分抜かなくちゃいけない。作品を作るときに歪んだり割れたりするので水分を十分に抜くことが非常に大事。水分を十分抜いて乾燥させてやっと作品に変わる。これに場所がいったり時間がかかる。
ー2階には、大きな木材が置いてある。
これ乾かしてんねん、今この木乾かしてんねん。
この木は何でここで乾かしてるかって言うたら、冬になったら乾燥注意報って出るやろ。そしたら部屋寒いし暖房するやろ。そしたら部屋は一段と乾燥するんや。だからこう置いてあんねん。これは今年の1月ぐらいから置いてあんのかな。今年の1月の21日にここに来た時には24キロあってん。今これ持ってみ、軽いやろ。この5ヶ月間の間でこんだけ水分が抜けたんや。前までは1人では持てなかったんや。そんだけ重たかったんや。24キロやったさかいに。今半分ぐらいなっとるかな。そんだけ水分が入ってるんや。だからこの水分を十分抜いた上で作品にするんだけど乾かすのに時間がかかんねん。だからその辺に生えてる木をポーンと切って仕事ができるということではないんよ。
ー木を乾かす工程は指物を作る最初の段階に当たる。
木を乾かす工程は、指物の作品を作るために最初の段階に当たる。けど君たちはそんなこと知らんやろ。できたものを見て判断するわけやろ。実を言うと、このできるまでにはこんだけの工程があるんだっていう。そこにはね、いろんな人たちのいろんな努力と、いろんな汗があるわけよね。例えば生活の中の食材一つとっても、お百姓さんがこれどんなふうなことをして作ってはるんだろうか、っていうようなことを実際知ったほうが人生豊かになるわ。
だから、本当に何かを知りたいと思うんだったら現場に行かなあかんね。どんなことやってはるかっていうのは自分でしっかり見に行かへんかったら、なんでも身につかない。手軽でいいけどね、本を読んだりネット見たりとかしてるようでは身におそらくはつかない。ネットとか見たらパッパパッパで情報が何でも出てくるからね。だから自分の五感で感じるっていうことが、体が覚えることやから。「あっ、冷たい」、「熱い」って言うのと同じことで。面倒くさいことって言ったら面倒くさいんだけど、そういうもし機会があったら自分で考え出すものやと思う。
人間性
ー社会人として生きていくためには人間性が必要だという。
社会にこうして出てきた時は資本主義で生きてるからお金儲けなあかん。僕のような伝統工芸の技術があって、その技術で生活してる人がプロだと思う。日曜大工してるような人はプロではないと思う。プロで生きていこうと思った時には物はもちろんだけど、社会性っていうのが大事。だから、「売りに来てくれはった人が非常に人柄も良いいから、あんまり私の趣味には合わへんけど、この人がいうんだったら買ってあげようかな」って言う。そこは人間性やと思う。
ただ、今は振り込み詐欺とか上手いこと言うひとが出てきて、こんだけ毎日、毎日、言うててもな、騙される人がいはる。あれはたぶん電話する方にマニュアルがあって「相手がこんな風に言うたらこんな風に返しなさいよ」ってい言って人の心を掴むのかな。それが彼らの仕事だと思うけど、社会的的には許されない。それは人間性って言われへんもんで、詐欺やな。
釘
ー釘を使わないと言われる指物でも木製の釘を使う場面がある。
僕が小さい頃は家の裏側にちっさな仕事場があったんだけど、そこには木の匂いがしたり、道具の音がしたりとかして、そういう仕事場で育ったみたいなもんやから、仕事場が自分にとっての「環境」だった。
京指物の仕事っていうのは、基本的には釘を使わないっていう仕事なんだけど、桐箱とか作る時には釘は必要。山に空木 [1] っていう木があって、木箱を作る時に適してる釘になる。空木も切った時は水分があるからちょっと乾かしとかなくちゃいけないんだけど。
ー釘をつくったら少しの間炒るという。
本来、釘は丸い円錐状の形をしている。けど、うちらが作る釘は頭が四角になってる。その四角の釘を何十本か百本か作ったら鍋に入れてちょっと煎る。ちょっと焦げてくると香ばしい匂いがしてきて、それは水分が抜けてる証拠やから、釘として扱える。
釘を打つときには、打つところに錐 [2] で丸の穴を開ける。そしたらこの釘が四角になってるから、釘を穴にトントン打つと角がちょっと抑えられて、釘が一段と機能を発揮する。釘のまだ出てる部分を1ミリぐらい残してのこぎりで切って、残っているところをトンカチでトントントン平たくなるまで叩く。そこにちょっと水をつけてあげると、乾いた釘がプッと膨らむねん。(四角の釘を丸い穴に入れることにより、より締め付けが強くなりさらに水をつけることでよ膨らんでさらに強度が強くなる。)
ああ、昔の人はようこんなことやってはったな、と思う。それは物を作る人の最後までの完成としてのこだわりやねん。釘をザラザラって煎って、まだ残ってる水気を抜いて、それ(釘)をトントン叩いて釘としての効用を最大限に出して、最後に水をちょっとつけてパッと膨らます。これが世界に誇る日本の伝統工芸や。ここまでやる。そうやけど「こんな風にやるんやぞ」っていう技術をみんなで受け継いできた。だからその受けついできた教育はやれるとこまで継続させていかなあかん。
ー近年では指物の世界も機械化が進む。
ほんまに手作業やったところを機械がやってくれるようになったから、ずいぶんいろんな部分も省かれてきた。仕上がりが同じだったら機械で作ったらいいんやけど、どうしても手でやらないとあかんところが出てくる。その部分だけ仕事ができたらいいではなくて、基本の刃物を研ぐってことができんかったら、そのどうしても手仕事でやらないとあかんところができない。
中にはね、今でも木のことが好きな人たちは、「じゃあ僕1代で指物をやろう」って人も中には出てきはる。その人たちも僕もタイムカードがない世界やから。僕らはこの時間からこの時間まで仕事をしなくちゃいけないっていう制約がないから、いつまででも仕事しようと思えばできるし、いつまででも寝とこうと思えばできるしっていう環境。だから言えば、少しヤクザな仕事のようなところがあるように思う。板場の修行する人が、「庖丁一本 晒にまいて旅へ出るのも 板場の修業」っていう、月の法善寺横町っていう大阪の歌があるけど、晒なんていうのは、元々ヤクザが巻くもので。よう似たことをやってるのかな。
基本的には安定した職業じゃないけど10年くらいかけて技術さえ身につけたら、その10年の間は、なかなか進歩してるようには思えない時間もたくさんあるけど、後になってその下積みがいかに大事なことかをやり続けてたらわかってくる。技術を身につけるのにやっぱり10年間ぐらいかかるねん。その10年間の間、面倒くさいことたくさんしなあかんから結構挫折していかはんねん。賃金もあんまり発生しーひんし、やれてるかやれてへんか分からへん仕事もしなあかんからね。下積みの仕事なんてそういうもんやわ。
[1] 「うつぎ」と読む。アジサイ科の落葉低木。
[2] 小さい穴をあける大工道具。
[3] 漂白された状態の綿や麻の布
聞き手 | 永長佑都
2025.6.26
職人図書で掲載している聞き書きは、話し手の語りに耳を傾け、聞き手との対話を通じて構成されたものです。語られた経験や価値観、そのときどきの思いを、できるかぎりそのままの形で伝えるよう努めています。記述は、語り手と聞き手それぞれの視点に基づいているため、歴史的な事実や一般的な見解とは必ずしも一致しない場合があります。