土にこだわる
京瓦職人
―家業を継ぐまで
私の名前は浅田晶久です。1948年、9月25日生まれ、もうすぐ77歳になります。家業は私で3代目ですから、私の初代から数えて約110年くらい続いている。
小学校から将来の夢は建築士か、この家業という思いでいました。学校は建築の方に出ているし、屋根の瓦というのは建築と関係ないことはないので、今でも図面を書いたりするのは何の本を見なくても書けるし、読み取ることもできるし。その辺はありがたいところに行っているかなとは思っています。
―家業を継いだ理由
私らの時代いうのは、長男やったら家業を継ぐの当たり前。だから親父は「継げ」とは一言も言わない。ところが大工や左官屋、周りにいる人たちが来て「お前継ぐんやろな、継ぐんやろな」そればっかり言われる。だから「継がなあかんのかな」って思いに当時から周りからさせられた、という記憶はある。でも俺自体が嫌やったらおそらく継いでへんと思うけども、俺自体もそんなに継ぐのが嫌ではなかった。
―家業を継ぐうえで苦労したこと
窯焚き [1] なんか特に苦労したな。親父は土釜 [2] に対して温度計も何も使わない。火の色で判断してんねん。火がこの色やったらもう火を止めようとか、私にはそれが分からへん。なんで火を止めるのか、なんでもうちょっと薪をくべるのか、その判断が私にはつけへん。つけられなかった。これでは、後を継げへんなと思った。後を継ぎたいのは継ぎたいんやけども、この窯だけは目で見て判断決めるのはすごく不安やった。それから、窯の温度が分かる方法をいろいろと調べた。最終的にはゼーゲルコーン [3] いうのを見つけた。粘土でできたコーンで、釜の中の温度が900℃になったら倒れるいうのがあんねん。あ、これならコーンを見て温度がわかるから、私もできるわ、と思った。
[1] 瓦づくりの工程の中で、形を整えた粘土を窯で焼成する段階
[2] だるま窯ともいう。電気釜が普及するまでは、土で作られた窯を使用していた
[3] 陶磁器を焼く際の温度を確認するために使われる三角錐型の道具
京瓦の特徴
―3種の京瓦
京瓦って種類で分けると3つあるんよね。「並」っていう瓦と「磨き」っていう瓦と「本ウス」っていう瓦。並というのはもう表面を磨かなくて、形こしらえて撫でるだけ。水撫でぐらいが並っていうか。「磨き」は瓦の表面(おもてめん)だけ磨くっていうこと。「本ウス」は瓦をこしらえて、表面が二度磨き、裏も側面も全部、一度磨きをする、っていう瓦。全部磨いて、表面だけはもう一回磨く。
仕上げだけやなくて素材も違う。「並」はプールみたいなところに一度粘土を入れて足で踏んで、丸く盛り上げて薄くスライスして足で踏む。これが一回だけね。「磨き」というのは薄くやって、足で踏んだ粘土を持って丸く盛り上げて、同じことをもう一度やる。二度練った土というのが「磨き」の材料。で、「本ウス」は、山から掘り出してきた土を乾燥させて、砕いて、水を張ってあるところに掘り込んで攪拌して、上積みだけを河原の粘土に使う。だから作る品物によって、土の練り方から最初の工程から全部違うわけ。
―再現不可能な昔の京瓦
今はもう京都ではほとんど粘土がとれなくなって、今は愛知県の粘土を使ってる。愛知県の粘土って粒子がすごく粗くて、おまけに砂が混ざってる。粘土分は焼結するけど、砂分は焼いても縮まないでしょ。せっかく京都の技術である磨きっていうのでせっかく平らにきれいにツルッとしてても、焼き上がったら表面に石が残る。だからそういう風なんで昔の京瓦っていうのはもう作れない。
技術の継承
―技術は盗んで身につけた
私、師匠二人いんや。鬼瓦の師匠と普通の瓦作る方の師匠。普通の瓦作る師匠は親父。鬼瓦を作ったりする方は「鬼師」いう人。日本でもトップクラスの人が私のところに来て、その人に直に教わっていた。でも何も教えてくれへんねん。盗め。見て盗めて。もうそれしか教えてくれん。うちの親父も同じように「盗め」って。「これだけは盗んだって誰にも警察にも呼ばれへんから大丈夫や。盗め。それだけ。」質問しようにも聞きようが分からへんねん。何を聞いていいのか。
だから常に自分で考えて物事を知ることには前に進まへんわけ。正直言ったら1個の失敗で分かることが、私やったら10回ぐらい失敗しんと分からへんわけや。だけど反対に人の見ながらとか、自分で何が何か分からへん間に覚えてきたことがあるさかいに、今の私があんねやと思うけども。
今までの瓦とこれからの瓦
―需要の変化
私の本職は鬼瓦。お寺の鬼瓦とか、それからお寺の屋根瓦が本職ですね。ところが今では、瓦以外の屋根材もぼちぼち出始めてきてた。それで瓦ちょっとやばいな、っていうような心配はあった。阪神大震災で、瓦の屋根が傷んでる映像が、週刊誌から、新聞から、テレビから、ことごとく報道された。それから東北の震災あったり、中部でも地震があったり、そのたんびに屋根が重たいから崩れた、というふうに報道されて、もう今では瓦というのがもうみな嫌がられる。
今のところ瓦がまだ必要とされているのはお寺の改修かな。だけど。お寺の改修もだいぶ行き届いてきている。おそらくお寺なんかで一度やったら、もう100年とか200年単位で次の改修をするから、おそらくもうやることはない。ということを考えていくと屋根材だけでやるのはしんどいのかなって。それで屋根の瓦の材料を使って、今回の万博の関西パビリオンの床材やとか、壁面材とか、あるいはもっと他に食器関係とかプランターとか、そういう瓦を使って新しいものを作ろうとしている。
―学生との交流と新たな挑戦にも
工繊大 [4] の学生さんと、もうこれで20年近くお付き合いしてて。夏休みになったら毎年工繊の学生さんが来てくれる。学生さんが制作するものを自分らで決めて、それを遂行するために、京都の伝統産業、6社ぐらいかな、そういういろんなとで制作をする。瓦もそのうちの一つとして入れてもらっている。
その中で瓦の表面にシルクスクリーンで模様を付けて焼いたらどうなるのかなとか、あるいは、3Dプリンターで作ったやつを石膏取りして樹脂を抜いた後、粘土を詰めて造形をこしらえるとかということをしている。いろんなものに挑戦していったら、まだ瓦の素材はなんとかいけるんじゃないかな、というふうな思い。
[4] 京都工芸繊維大学
―海外展開に向けての取り組み
瓦って屋根につこてるの自体が中国と韓国と日本、台湾、この近辺なんですよ。他のヨーロッパとかの屋根見たら、ちょっと土か釉薬を塗って焼いてる赤っぽい色の瓦を使っている。だから日本の燻瓦というのが水を弾く [5] 、あの黒い瓦が水を弾いて家を守るということを、反対に海外に発表することによって、ヨーロッパのデザイナーさんなんかにも興味を持ってもらえたらな、という思いはあります。今回の万博なんかはその辺がうまいこと言って、発表できたらなという思いで、引き受けたりもしているということです。
[5] 銀(黒)色の瓦は、表面の燻により防水性が生まれる。
聞き手 | 藤原拓哉
2025.4.19
職人図書で掲載している聞き書きは、話し手の語りに耳を傾け、聞き手との対話を通じて構成されたものです。語られた経験や価値観、そのときどきの思いを、できるかぎりそのままの形で伝えるよう努めています。記述は、語り手と聞き手それぞれの視点に基づいているため、歴史的な事実や一般的な見解とは必ずしも一致しない場合があります。
浅田製瓦工場は、1911年創業の京都市伏見区にある老舗瓦製造工房です。京瓦の伝統技術を継承し、手作業で瓦制作を行う希少な工房として知られ、鍾馗さんや鬼瓦なども制作しいています。