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清水焼
叶具夫さん
清水焼は、京都・東山を中心に発展した焼き物で、繊細な絵付けや優美な形状が特徴です。茶道具や日常の器として長く親しまれ、時代とともに多様な表現が加わってきました。叶具夫さんは、三代・松谷の道夫さんの二男として生まれ、同志社大学卒業後、京都府立陶工高等技術専門校、京都市工業試験場 で陶芸を学び、現在は家業に従事しています。創作活動として個展なども開催しています。

自分なりに昇華する

家業を継ぐまで

―名前を読むのが難しい

叶具夫(かのおともお)です。本名です。初見やったら読むのが難しい。みんな読めへんし、「ぐお」って呼ばれたりするんでね。国語の先生とかよりは社会の先生の方が正しく読めたりしはるんですけどね。社会で習う、岩倉具視の「とも」と言われるとね、ちょっと腑に落ちるというか、なるほどって思うんです。兄弟が3人いて、男の子3人なんですよ。長男がいて、僕が弟なんですけど、みんな名前に「夫」がついてて。なんとか夫。親が線対称の字を探してたって言ってたんですけど。一番上が「貴夫」、貴族の「貴」ですね。僕が「具夫」で。で、一番下が「寛夫」って、菊池寛の寛、うかんむりに草かいて見る。それで、「ひろお」って言うんです。特に何かそれに意味があったのかどうかよく分からないんですけど。



―大学生の頃、兄の貴夫さんが海外に飛び立った。

兄貴は京都の芸術系の大学を出てて、僕は普通の大学に行ってたんですよ。僕も勝手に兄貴が芸術系の大学やから家の仕事するのかなと思ってたら、兄貴が海外に「逃亡」して。アフリカのニジェールっていう国に、青年海外協力隊の隊員で陶芸を教えに行ったんですけど。丸2年半、3年弱ほど住んでたのかな。アフリカ行ってしもたら、なかなかね、兄貴が家の仕事をするつもりなのかもわからないんでね。「ハウサ語 [1] の辞書を送ってくれ」とか、そんな連絡があるくらいで。ハウサ語って聞いたことないなあ、とか思いながら。



ちょうどそのとき、僕の就活が始まるときやって。実際僕も、ものを作るとかっていう方が、どっちかというと自分の性格にも合ってるかな、と思って、家の仕事をしようかなって。自分が手抜いたから、こんな物しかできひんかったんやとか、自分がしっかりこだわってやったからこれができたんや、っていうのが分かりやすいかなと思って。



それで父親と僕と、その時まだ中学やった弟と、3人でアフリカ遊びに行ったときに、兄貴に「僕も陶芸(家の仕事)しようかなと思うんねんけど」っていうのを言ったら、「ああ、ええやん、おもろいで」って言われて。アフリカから帰ってきて、大学卒業してから2年間、昔でいう職業訓練校みたいなところに行って、ろくろの勉強して。ほんで産技研 [2] に釉薬の勉強をしに行って、年齢も年齢なんで、26、27歳の頃、家業に戻って家の仕事を覚えるっていう。



[1] ナイジェリアやニジェールなど西アフリカ地域で話される言語。
[2] 京都市産業技術研究所:伝統産業や先進産業などの地域企業を技術面から支援する機関のこと

食器を洗う

―学校で陶芸を学び家に戻って家業を始めるとき、はじめに、父親の道夫さんに言われたことがある。

家に帰って最初に父親に言われたんが、ここだけ(工房の一室に保管されている食器の見本 [3] )で初代からのを含め全体の3分の1くらいあるんですけど、「これ全部洗い」って言われて。おおっ、すごい量やしな、と思いながら、洗い始めて。洗おうと思ったら干さなあかんし、干す場所も必要やし。本当に全部で丸々3ヶ月か4ヶ月ぐらいかかったのかな。



途中で父親に「なんで食器を全部洗えって言うたか分かる?」って言われて。汚れてるし、実際ほこりかぶってるんでね、それで「綺麗にするためにかな」って言ったら「違う」と。「洗いって言うたんは、例えば、うちの品もんが、この汲み出し一つ、重さや厚みがこれぐらいやなとか、形がこうやな、こんな柄があるんやなとかっていうのを、洗っていると目と手が覚えるから」と。実際に洗っているときにも「軽いなあ」と思うものとか「これなんでこんな重さなんやろう、もうちょっと軽くてもいいのにな」って思うものとかがあったりして。



途中で父親に「なんで食器を全部洗えって言うたか分かる?」って言われて。汚れてるし、実際ほこりかぶってるんでね、それで「綺麗にするためにかな」って言ったら「違う」と。「洗いって言うたんは、例えば、うちの品もんが、この汲み出し一つ、重さや厚みがこれぐらいやなとか、形がこうやな、こんな柄があるんやなとかっていうのを、洗っていると目と手が覚えるから」と。実際に洗っているときにも「軽いなあ」と思うものとか「これなんでこんな重さなんやろう、もうちょっと軽くてもいいのにな」って思うものとかがあったりして。



「ああ、そういう意味があったんか」と思って話を聞いていると、父親も同じことをしたって言ってて。やっぱり家の仕事をする上で、それをしておいたほうが結果は良かったなと思いますね。ちゃんとした理由があったというか。そう言われたら納得というかね。



[3] 職人が器を作る際に見本とするもの。 新しく器を作るときには、まず初めに見本を制作する。

変わる時代

―家業で陶芸に携わる一方で、京都市産業技術研究所で若い世代の育成もしている。

僕が産技研で今教えてても、僕以外にも先生が何人かいるので、教え方は本当にその先生によって全然違うと思うんです。「それぞれが言うやり方を聞いて、一番自分に合っているやり方をしたらいいで」って言ってて。例えば、僕はここはもう絶対両手でこうしてっていうのも、先生の中には片手でする人もいるし、道具を使うタイミングもここで使うっていう人もいれば、9割方できてから使うっていう人もいたりとか。



そういうのも、自分で聞いてやってみて「やっぱりできひんな、おかしいな、何があかんのやろう」と思ってやってみないことには、不思議にも思わへんし。そう思った時に的確に答えてあげたらいいのかな、と思って見てはいるんですけどね。



―その中でも時代の変化を感じる。

昔やったら、「手ここでこうやってな」とかって手を添えながら教えるのもできたんですけど、今、それセクハラやって言われることがあるんで、まあ難しいですよ、ほんまに。ろくろに学生が向かって作業してて、僕らが学生を前から見てるんですけど、手を添えるときも「ごめんな触るで」って言ってから「手の位置をこう、ここやわ」とかせんとあかんから、「ああ、難しい」と思って。



僕自身も実際、20年ほど前に教えてもらった時とかは、僕よりもまだまだ上の父親世代とかの人が、当時50代の時とかに教えてて、やっぱりその時とは感覚は全然違うし、男性同士やからとか女性に対してやからとかっていうのじゃなく、男性に対してもやっぱりその気を使わなあかんし。その辺とかは結構難しいですね。



伝統と伝承

―清水焼には、「山水」と呼ばれる自然の風景を絵付けしたものが多く見られる。

清水焼には細かい絵をもうびっしり描いてあるような作品とかが結構多い。手間がかかってるし、技術的にも大変なことなんですけど、細かい絵付は訓練を続ければ、ある程度はできるんですよ。すごい手間かかってるなとかいうのが、パッと見でわかりやすいしやっぱりいいなとは思うんですけど。うち以外の窯元の作品とかを見てても、そういうのとまた違う、昔ながらにある山水 [4] とかっていうのを、上手に描かはる職人さん自体がちょっと減ってきてるのかな、って個人的に思ってる部分はあって。筆の勢いとか、濃淡とかも含めて、描かはる人のセンスもありますし、うちのその窯として存続していく上でも山水とかを上手に描ける職人さんを育てていくのとかも、伝統として繋げていくのも重要なんじゃないかな、と思ってて。その辺はちょっと力を入れたいという言い方もおかしいですけど、注意してやっていきたいな、とは思いますね。



―伝統と伝承の違いについて

僕からしたら、先代から受け継いだものを自分ができるようになる、っていうのはただの「伝承」でしかないかなと。「伝承」と「伝統」は一見、似てるようで、若干の違いはあるかなと思うので、受け継いだものを自分なりに昇華して、現代のスタイルにあったものに合わせていく、っていうので「伝統」として繋がっていくのかな、っていうふうには思うので。

歌舞伎とかでもそうだと思うんですけど、その時代その時代で少しずつ何か変わってたりとか。絶対変わったらあかんものとかも、もちろんあると思うんですけど。



その時代その時代で新しく何かできること、それから父親の代と違って僕の代だからできることとかが後々になってあればいいのかな、ぐらいには思ってるんですけどね。「今これやねん、これを僕の代で形にしたいねん。」とかっていう自分なりのアプローチ的なのは正直まだそこまで思い立ってないですけど。何か僕が家の仕事を続けていく上で、きっと何か思ったりすることも出てくるやろうし、じゃあそれを形にしてみようとか、っていう風になっていったらいいのかなと思って。



[4] 山や川、風景などをモチーフにした絵柄

聞き手 | 木下快

2025.5.21

職人図書で掲載している聞き書きは、話し手の語りに耳を傾け、聞き手との対話を通じて構成されたものです。語られた経験や価値観、そのときどきの思いを、できるかぎりそのままの形で伝えるよう努めています。記述は、語り手と聞き手それぞれの視点に基づいているため、歴史的な事実や一般的な見解とは必ずしも一致しない場合があります。

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松谷窯

窯の近くが「小松谷」と呼ばれていたことから名付けられた松谷窯。京都で開窯し100年以上、京料理を支える焼物を生み出す窯元です。高度な技術と柔軟な発想で器を作り続けています。

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