色を重ね、繋ぎ続ける
七宝と出会う
―七宝とは、金属の板に加色する技術
七宝は、金属工芸です。金属の土台の上にガラス質の釉薬を焼き付けて作る工芸品です。銀や銅の板を土台に自由にいろんなことができるからすごく面白いです。
釉薬の色を重ねたり厚みを変えたりとかすることによって、色のバリエーションをすごく増やすことができます。
―「色」が好き、「技工室」が好きだった
私、「色」というものがすごく好きで、色んな色。色と色の組み合わせとか、色を見るとか、そういうことがわりと好きだったんですよ。父が美術館とかそういうところを巡るのが好きだったもんでね。あとは、綺麗なものを見ることが好きです。景色でも家具でも何でも。だから今でもデパートに行ったら一番高級品売り場に行って、そこで一番高いものを見たりしますね。
うちの父が歯医者で、家に技工室というのがあってね、その当時は、入れ歯とかを全部自分で作ってたんですよ。技工室は小さい工房みたいなもので、子供の頃からそこに座って、なんかその辺の物をぐちゃぐちゃ触るのが好きでした。
―古い七宝の写真との出会い
子供の頃から美術的なことも好きだったんですが、趣味で、自分の仕事にはしーひんやろうと思ってたんです。
ある日、私の姉の嫁ぎ先で大阪の表具 [1] やさんに遊びに行った時に、七宝の聚楽第 [2] の釘隠し [3] の写真があったんですよ。すごい綺麗でね。その写真を見てから「七宝ってこんな綺麗なものが作れるんだ」っていうことを知って、七宝に魅せられたのです。
[1] 書画や美術品の表装だけでなく、襖や障子などの建具の仕立て、修復などを行う仕事。
[2] 豊臣秀吉が京都に築いた邸宅兼政庁。
[3] 日本建築において、長押(なげし)や扉に打った釘の頭を隠すためにかぶせる金具。
七宝を作り始める
―好きなものを作る、綺麗なものを見る
七宝と出会ってから、だんだん父の技工室で自分でアクセサリーを作るようになっていきました。仕事に続くとか、それで生活するとかいうようなことあんまり頭にもなかったけど、とにかく作るのが好きだったので、どんどん作りたいものを作っていました。
七宝は色がすごくいろいろあるので、その色を活かすようなもの、色の美しさを活かせるようなものを作りたいという思いがあります。いろんな色があるけどその中から選択してその色自体をきれいに見せることを常に頭に置きながら作っているんですよ。
自分が思っているものが出来上がっていくということがすごく嬉しくて、だから本当に一点一点自分で手作りで作ってました。生地は普通は機械で作られた銅板と決まっていたんですが、私は全部手切りで一点一点作ったんです。
―仕事を続けなさい
私の人生はいつも「あなたは仕事は続けなさい」っていう風になってるって思うんですよ。「辞めなならんかな」と思ってたら続けられるようになる、「もうだめだわ」と思ったらまた続けられるようになって。本当にね、不思議に七宝を続けられるようになったんです。
結婚してから横浜に行って、それから十何年横浜に住みました。相手に結婚する前から仕事は絶対続けますって言っていて、仕事を続けることを約束して結婚しました。
七宝を作り続ける
―大好きな場所に家を建てる
偶然がいっぱい重なってここの家を見に来ることになりました。私は川の向こう側をずっとドライブするのが大好きでした。ここの場所って、私の大好きな場所じゃないですか。こんな細い土地で、家建つのかなという土地でしたけど「もう絶対ここがいい」と思って、すぐに主人に言ってここに家を建てました。
―50代まで徹夜もなんでもできた
ものすごくエネルギーがありました。だから人の倍仕事をしても、疲れなかったっていう感じみたいです。徹夜もなんでもできるし。40、50代のときなんて、ものすごく忙しかったから、50代までは徹夜してたと思います。60代の中頃ぐらいまで、本当に駆け抜けてきたっていう感じです。75、6くらいまで病気なんかしたことなかったし、お医者さんも行ったことないし、薬も飲んだことなかったんですよ。でもやっぱり当時思い返したら、すごいストレスやったなと思う。当時はあんまりしんどいと思いませんでした。たぶんしんどかったら寝てたんですね。
本当に寝る間際まで仕事してたし、寝てから起きてここでまた作業したりとかやってたから、かなり仕事に没頭してたかもしれない。作りはじめると、手が止まらない。次々に手が動くんです。そういう意味で言うと、家族がかわいそうやったかなと。でもうちの子どもたち2人ともね、女の子も仕事をしてるし、男の子も仕事をしている人と結婚しました。だから子供たちにとって母親が仕事をすること自体がマイナスには思ってなかったなと思ってます。だから、ちょっとほっとしてます。
―世の中の刺激に触れる
何を作ろうというより、世の中の動き自体が、新しいものをどんどん作らせてくれたっていう感じがするんです。例えばテレビ、雑誌を見ていると、その世の中の動きとか世の中の好みとか、いろんな世の中が求めているものとか、そういうのが分かってくるというか、それに対して自然に対応していました。「新しいものを作ろう」と考えるより、「あれを作りたい」「こういうのを作りたい」というのがどんどん湧いてきたんですよ。
七宝を残し続ける
―変わりながら残す
「京都の中に七宝をなくしたくない」というのが、私の思いなんですよ。京都の中にとにかく七宝を残していきたいという思いがすごく強かったです。
やっぱり技術は伝統を受け継ぎ、表現は自由に、時代とかいろんなものにつれてね、変わっていくべきだと思うんです。その時代に合わせてやってるから、こうやって今まで生き続けてこれたんだって思うんですよ。
―次の世代へのバトンタッチ
人を見るときに大事にしてるのは、その人の持っている感覚ですね。これは持って生まれたもんで、作品にもその感覚が出ます。「こうしなさい」って言うから、できるものでもなくて、やっぱりその人の持っている素質とか感覚、好みとか、そういうものを生かすようなことをしないと、結局ダメだと思うんですよ。それぞれその感覚を生かしたものを作っていったらいい。だから私は、先生の作品と同じようなのを弟子みんなが作ってるっていう感じが絶対嫌いです。「それぞれの個性を生かしたものを作りなさい」っていうのが私の好みで、私の通りに作りなさいって言ったことはありません。自分のいいところを生かしたものを作っていくっていうのがいいと思ってます。基本的に、伝統技術であるというのは当然で、下焼きの技術、有線の技術、彩色の技術、研磨の技術、これらは作れば作るほど、マスターできます。
―生き延びることは難しい
七宝自体がどちらかというと使われなくなってます。今例えば一枚のお皿が5000円だったら買わへんでしょ。でもそれぐらいもらわへんかったら七宝やさんとしてはやっていけへん。銅板であったり銀箔であったりそれだけでも高いでしょ。釉薬自体が特殊な釉薬やし、絵の具やし。だからそういう意味で、本当に生き延びることが難しいです。だからそれだけの材料を使っても儲かるようなものを作らないといけません。「ものすごい手がかかってるんですよ」って言っても誰もええと思わへんかったらあかんしね。
―紀元前から未来へ繋ぐために
金属の上にこういう加色をする技術っていうのは、他のものではないそういう美しさを出せる一つの素晴らしい技術だと思っています。しかもその技術は紀元前から続いてるんですよ。紀元前3世紀に作られて、今も続いているということは、それだけシンプルなものなんです。七宝が世界中に広がっているというのは、いかに皆さんが作りやすい、そういう基本的な材料でできてるからやと思うんです。
だからもっと七宝が日本中に広がって、日本中の人が知ってくれはって、昔そうやった頃のように日本中の人がもっと七宝を楽しんで使ってくださって、という風になればいいなと思っています。それで誰かね、天才的な七宝家が出てきて、世界があっという七宝の作品を作ってくれる。そういう天才の七宝家が現れへんかな、と期待しています。
聞き手 | 奥田陽香
2025.5.21
職人図書で掲載している聞き書きは、話し手の語りに耳を傾け、聞き手との対話を通じて構成されたものです。語られた経験や価値観、そのときどきの思いを、できるかぎりそのままの形で伝えるよう努めています。記述は、語り手と聞き手それぞれの視点に基づいているため、歴史的な事実や一般的な見解とは必ずしも一致しない場合があります。