つながるご縁、感謝の想い
就職するまで
―学生時代について。
僕はおかげさんで中学、高校、大学は、東本願寺の関係学校に行かせてもらった。高校・大学はスキー部で、クロスカントリースキーをやってて。大学時代は京都一番で、国体にも出場してました。
ースキーを始めるきっかけは、小学生の頃だった
親父の商売(福永念珠舗)があまりにも忙しかったんで。五つ半違いの上の姉がスキー好きだったから、中学生から冬休みは長野県白馬村のスキー場の民宿に姉弟預けられてまして。毎日スキー三昧でした。スキー学校にもたまに入ってスキー学校で基本教えてもらったり、あとは姉弟でフリーで滑ってたり。ご飯は全部民宿が作ってくれるから、三食あるわけですよ。ほんで、休み終わる頃には京都に帰ります。だから、知らない間にスキーを始めてたんですよ。その頃はまだ、クロスカントリーという種目は全然知らなかったです。
―サッカーも経験した。
中学はサッカー部でした。体小っちゃくて、弱かったし、入学のときは身長が140センチなかったから、レギュラーにはなれなかった。でもおかげで体は丈夫になった。高校の部活でスキーやり始めて、京都の中でも高校体育連盟スキーの中でコーチやってはるぐらいの、いい先生に出会って。その先生が「お前クロスカントリー競技は絶対合う。筋力的にも体力的にも持久力的にもクロスカントリー競技のほうが絶対お前は合ってるし、伸びる。クロスカントリーやってみないか」っていうことで、初めてクロスカントリー用の細いスキーを履いて走った。それで1年目からいきなり個人で京都2番になれたから、自分に合ってたんですね。下りを滑るのは得意でもうできてたわけ。走る、登るというのはなかなか誰でもできるかどうか分からないけど、たまたま自分に合ってた競技やった。トレーニングも上手いこといって、大学でも京都で優勝できたから、大学卒業しても30歳までずっと選手としてやってた。
―スキーをしたい気持ちが学生時代は強かった。
卒業してからもスキーに関わりたかったですよね。学校卒業したら、普通できないじゃないですか。でも、家が家(家業が安定していた)やから、すぐに家に帰って来い、というわけでもないやろうということで「就職先はスポーツ店に行きたい」って親父に言ったら一言「ダメ」って言われて。「今まで好きなことさせてきたから修業に行け」、ってことで丸3年、愛知県の仏壇屋さんに修業に行きました。
僕らの大学卒業の時って、今の時世とは違い、同級生は思った就職先に全然入れなくて、みんな選考に落ちてきやはるんですよ。ここに一番行きたい、次、ここに行きたい…で、やっと5番目ぐらいで希望会社に決まりよるんですよ。「そうか、こいつらは行きたいとこ行けへんねんや、自分のしたい仕事できひんねんや」と。ふと、自分の家の稼業を見た時に「こんなにええ仕事あるのに、俺、何してんやろ」と思って、そうやったら、親父の言うこと聞いて「もう修業に行きます」と言って。
小さい頃から祖母とか親父の元で教えてもらってて、数珠はもう既に自分の手で作れてたので、修業先では仏壇の金箔張ったり、金具打ったり、組み立てたり、仏壇の営業・製作の仕事に丸3年修行させてもらって、(福永念珠舗へ)帰って来たんです。
数珠職人
―職人さんについて
うちの職人さんは、木の台の上に針釘がついてる「組台」というものを使って、絹紐を引っ掛けて数珠の玉を通したり、軸を組んだりするわけですよ。念珠の房を巻く時に、和糊 [1] を使う時はありますけど、あとはハサミがあればできるんですよ。だからほとんど場所も取らへんし。ナイフとか小刀があったりという危険な刃物はなくて、ハサミだけですから、結構うちは家内工業 [2] で、家職人さんは長いこと仕事をしてもらってます。一度覚えるといくつまでも仕事ができる。うちの職人さんは「非常に長いこと仕事させてもらってありがとう」と言って。80歳超える人もやってはりましたから。僕のちっちゃい頃なんて、会社の近くに、80いくつの職人さんのおばちゃんが住んだはったりして。「あんたも大きなったな」「あんたが小さい頃、あんたのおむつ変えてやったっで」ってよく言われました。
こうやって家職人、家内工業というのは、昔から僕らの数珠の世界にはあります。
[1] 絹糸を接着するために作られた、でんぷんを用いて作られたのり
[2] 生産者が自宅を作業場として小規模に生産を行う工業形態
数珠について
―数珠はたくさんの種類がある。
数珠も60種類くらいあるからね。玉も違うし、宗派によって形も大きさも違うし。普通の腕にする腕輪数珠とか、普通の手に掛けて使う一重の数珠とかは宗派関係なく使ってもらえるけど、108個の玉のある正式な数珠になると、形が全部宗派によって違うんですよ。その全部の仕立てを覚えなあかん。なんでこの形になったかっていう理由や意味が全部あるんですよ。最終的に一心一念の全部の内容を理解して、それぞれを作れなあかん。数珠はちっちゃいやつもあればもっとでかいやつもある。そうすると仕立て寸法が変わってくる。それも全部頭に入れなあかん。
―数珠の材質も様々ある
これは、星月菩提樹(せいげつぼだいじゅ)っていう菩提樹 [3] の実なんですよ。これはローズクォーツ [4] 。これ、黄楊(つげ) [5] 。これ、金剛菩提樹。これ、黒檀 [6] 。いろんな材質使ってるでしょ。そうすると、おんなじ規格で木玉を削ったはんねんけど、108玉揃えると全体で若干大きさが5ミリ、1センチ変わってくるんですよ。だからもう手加減なんです。だからピターッと規格通りに機械で玉抜きををしても、同じ大きさになるわけじゃない。なので出来合いはどうしても何センチから何センチぐらいの間で作ることになる。
[3] 菩提樹には何種類もあり、黄色の花をつける落葉樹で、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたと言われている菩提樹は金剛菩提樹という種。
[4] ピンク色をした天然石。
[5] ツゲ科ツゲ属の常緑低木。狂いの少ない材質から将棋の駒にも用いられる。
[6] 常緑高木の総称。心材が黒色で耐久性に優れる。
仕事への向き合い方
―数珠の仕事に携わっていると、色々な人との出会いがある。
数珠を作っていると色んな人が来はるんですよ。宗教の道具であっても、決してお寺さん、お坊さんばっかりではない。数珠を必要とされる方、いろんな方が来はります。いえば、除霊しはる方、または警察の方とか、長期入院しはる方とか、いろんな相談をされます。どういうお客さんであってもやっぱ歩み寄ってお話を聞いて、自分ができることをする。というのが僕としては一番のやり方かな。
聞くという耳を持つ。できるできへんは後の判断。まずは聞く。自分の持ってる知識の中で勝手に判断をして返事をしない。一回聞いて、お話を飲み込んでちゃんと処理しないと。「それは違いますよ」とか言って断らない。まずは、できるかな、っていうことを、依頼主と一緒に形にしていく。「それは無理です」「一か月もかかりますし、いいですか」って自分で処理するんじゃなくて、「なんとか期間短く出来へんかな、作れへんかな」って相談を受けるのは大事かなと思います。ぼくは数珠の玉のデザインもするわけですよ。数珠の玉のデザインに関しても、なんとかできへんかな、って何べんもテストして、とうとう最後にはちゃんと形になるわけですよね。
仕事をしていてよかったこと
―職業柄、人に感謝されることも多い。
人に感謝される仕事だからありがたいですよね。例えば、おばあちゃんが持ってはった数珠を、もう一回綺麗に仕立て直して孫さんに譲られる。そういう時に修復とか、そういう技があるわけですから。新しいものを売るばっかりの仕事じゃなく、修理をすることって多いので。そういう先代のものを直したりとかすると、すごく感謝をされる。
自分が嫁入りするときに、お母さんからもらった数珠が、もう50、60歳にならはって数珠もいたんでくる。「糸が切れて、どうしよう」って相談しはった時に、「綺麗にしましょう」って言って。綺麗に仕立て直してあげたら、「数珠がまた生き返って嬉しい。やっぱり親からもらったものやから、値段が高い安いかは関係ないし、大事にしたい」って、言わはる。「デパートの宝飾屋さんに行ってもなかなか話を進まへんかったけど、ここに来て良かったわ」と言わはる。やっぱし、自分の技の中でそういう人に感謝されるっていうのがありがたい商売かな。
これからについて
―時代の変化もあり、需要は減っている。
僕らの数珠というものの需要量が減ると思います。今、寺離れ、墓じまい、家族葬。家族葬すらもされなくて、病院から直葬と言うて、そのまま火葬場までいったり、っていう時代に実際なってきてるじゃないですか。ということは、もちろん檀家さんとお寺との関わりが少なくなってくるし、お寺のほうに次の若い世代が行くことは、もっと少なくなってくるだろうし、そういう世代の中で数珠を使ってもらえる人が増えるかというたら減る一方だと思うんですね。寺院の方が記念品として買ってもらうとしても檀家数やら門徒数というのは減っていくので注文数も減っていくだろうし。
やっぱりしんどいけど、そやけど、合掌しやはる、手にかけてもらえる商品を作るわけだから、やっぱり商品に対する「想い」が、僕らが作らせていただいてる想いが、違うんですよね。使ってくれはる人の想いもそれぞれ全然違うし。
そやから、そういうのを大事に残していかなきゃあかん。そのためには、やっぱり店を維持していかなあかん。いえば店が大小になろうが、暖簾を残さなあかん。そして、昔からの商売のやり方は変えず数珠を作っている、作らせていただいて、使っていただくというのを忘れずにやりたいなと。ただ品物でお金で換算してこれ売れたらいくら儲かるわ、というような商売をするんじゃなくて、1週間、5週間など長い時間をいただいて作らせてもらって、使ってもらうという、僕らの職人のものづくりをする流れをやっぱり継承していかないと、もうただの物売りになってしまう。
一番大事なこと
―大切にしている言葉がある
「感謝の気持ちを珠に込めて」という言葉を、僕が35歳に社長になって決めた。それは、お客さんにお金もらうからという感謝だけじゃなくて、いろんな条件が重なってるからはじめて自分が商いできてることを忘れたらあかん、ということなんです。お客さんは、もちろん当たり前やけど、働いてくれてはる職人さんに対しても感謝しなきゃダメなんです。例えば、珠を削ってくれてはる職人さん、糸・紐を作ってくれている職人さん、そういう材料がなかったら僕たちはお仕事できひんし。一緒に働いている社員もやし、あとは、例えばセロテープカッターひとつにしても、あるから当たり前のように思ってるけど、なかったら仕事できひん。
あとは京都へ皆さんが来られる、上京して観光に来てくれてはるような、四季折々の京都のこの場所で商いさせてもらってることに感謝しとかなあかん。いい場所にいい商いさせてもらってるから、商売が繁盛して続いている。そのそれぞれの感謝のことを忘れたらあかんいうことを、ひとつ一つの数珠に「感謝の気持ちを珠に込めて」頑張って物を作りましょう、売りましょういう想いを込めて、この言葉を作った。
あと、もうひとつに「和顔愛語」、和顔愛語(わげんあいご)という言葉です。和やかな顔で慈しみのある言葉で接するということです。嫌な顔せずに和やかな顔でお話をして、思いやりのある言葉をしっかりと語ればそれでいい。それでちゃんと周りが平和になる、一番大事なことですよ。この辺が私の大事にしているところですね。
聞き手 | 永長佑都
2025.6.11
職人図書で掲載している聞き書きは、話し手の語りに耳を傾け、聞き手との対話を通じて構成されたものです。語られた経験や価値観、そのときどきの思いを、できるかぎりそのままの形で伝えるよう努めています。記述は、語り手と聞き手それぞれの視点に基づいているため、歴史的な事実や一般的な見解とは必ずしも一致しない場合があります。
念珠は、仏教の儀式や参拝の際に、お経や念仏の回数を数えるために用いられる仏具です。木や石、ガラス、金属など、さまざまな素材から作られ、玉の素材や大きさ、数は宗派によって異なります。福永念珠舗九代目社長、福永荘三さんは、伝統技法を大切にしながらも、現代的な感性を取り入れたデザインを特徴とし、時代に寄り添った念珠づくりを続けています。